本の目次3

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『春を待つ青い花』目次と冒頭

「きょうが終わる」(灯子)

 十二時だ。
 きょうが終わる。明日がやってきてしまう。どんなに泣いても時間は規則正しく厳密に流れて、今「現在」だったものもベルトコンベヤのように容赦なく淀みなく過去へと押しやるから、私はほんとうに切ないまま、二十七歳なんかになってしまった。
 香奈子が亡くなって十年、という、言葉の重みとはうらはらに、蛇口をひねれば水が出るのと同じくらいあっけなく、私は十七歳のその日を再生できるのだ。だから二十七歳になんてなっているわけがない。あるいは、香奈子と一緒に私は死んだのだろうか。

「短篇ボックス 砂糖菓子と自由の追想」(篠洲ルスル)

 一人でバスを待っている、そこのぼく。背筋を伸ばして少年文庫を読んでいるけれど、読書なんかつまらない、って顔に書いてあるよ。顔にはなんにも書いてないって? じゃあ私がサインしてあげよう。いまや出雲のそば屋さんの壁にも飾ってあるサインだからね。ママに見せたら、顔を洗っちゃだめって言われるかもしれないよ。
 そうか、きみは自分の興味のあることについて書いてある本が好きなんだ。私も小さいころはそうだった、お話の本より、虫の図鑑が好きでね。虫の絵を見るだけじゃなく、小さな字で書かれた説明を読むのが楽しかった。

「ハイボールのちょうどよさについて」(詩子)

 鶏(とり)食べたくないですか? というのは加藤さんが私を飲みに誘うときの定型句で、言われた私はにやにやしながらいいっすよ、と答える。じゃあそういうことで。自席に戻っていく加藤さんを見つつ私は、日報の続きを入力する。一日の仕事はすべて、受注番号とともにデータで入力することになっていて、一日同じ仕事をしていた日はいいけれど、なんだか細かい仕事が続いた日などは日報の入力だけで十分くらいとられてしまう。今朝の十時半ごろ、何の仕事をしていたか思い出せない。

「桜とからす」(詩子)

 ほとんどパンクしている赤い自転車にむりやり乗って、近所の大きめの公園に桜を見に行ったら、からすがいた。
 半分ほど咲きかけている桜の枝にぼんやりとそいつは留まって、はらはらと舞う花びらを目で追うともなく追っているようにみえた。時折、首をかしげるような仕草をする。
「そこ、桜よくみえるの」
 たわむれに話しかけると、からすは自然に答えた。「見えないな。逆に」

「かだりまのはなし」(芳野笙子)

 三軒先のミナカミサトエさんが、雪おろしの途中で転落死し、かだりまになったらしい。去年もおととしもいなかったから、数年ぶりのかだりまである。かだりまになってしまったので葬式もできない。久しぶりのことなので、町内はなんとなくそわそわしている。
 雪かきの際など、お隣さんに挨拶をしてせっせと雪を運びながらも、目は知らないうちにミナカミさんの家へむかってしまう。ミナカミさんの家は一人暮らしなのによく手入れされて、いつもきちんとしていたから、雪が積もりっぱなしの玄関先はなにか心もとない。ふと気がつけばお隣さんもミナカミさんの家を見ている。

「青春末期の素描」(篠洲ルスル)

 寝台に腰掛け、ブルージーンに赤いポロシャツの若い彼女は、生ギターを右膝に、Eマイナーのストローク、かすれ気味の声で歌った。
嗄れゆく蝉の声夏も終る Lu lu lu lu lu
漸く日も傾き始めて Ti li ti ti ti ti
土砂降り通り雨遠雷 Lai la lai la lai
ずぶ濡れだね
乾くまで俺の部屋で待とう

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